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この地球は今大きく変わろうとしている。自国主義からコロナ禍を経て、調和・融和へとイノベーション(変革)し、人生100年時代へ向けて脱炭素の環境優先へとベクトル(地球的エネルギー動向)が動いた。
常に夢を持って波に乗ろう!

「一人の才能が土を割って芽を出し、

世に出てゆくには、

多数の蔭の後援者が要るものなのだ。

 

ところが才能は光のようなものだな。

 

ぼっと光っているのが目明きの目にはみえるのだ。

 

見えた以上

何とかしてやらなくちゃ、

という気持ちが周りに起こって、

 

手のある者は手を貸し、

金のある者は金を出して、

その才能を世の中へ押し出してゆく」

 

 

「それが私のことですか」

 

--周作はどんな顔をしていいかわからない。

 

「お前のことさ。いや厳密にはおまえのことじゃねえ。お前の才能のことだ」

 

「・・・・・・」

 

「才能は世の中の所有(もの)だ。

だからこそ世の中の人は私心を捨てて

協(たす)けてくれる。

 

自分のものとは思わずに

世の中のあずかりものだと思って懸命に磨け。

 

恩を報ずるのはそれ以外にない」

 

--と、幸右衛門はいうのである。

 

 

-------これは、司馬遼太郎の「北斗の人」の一節である。

 

さらに剣の道を究(きわむ)る文節も出てくる。

秋の夜長、文学的筆致の極意を究められては如何かな。

 

「剣の要諦はひとことで申してどういうことでございましょうか」 

--と門人がよくきく。

 

こういう場合、普通ならば、

 

「曰く、無」

 

などと、師匠本人でさえ解っていない

哲学的表現をとるのが剣術家の常であったが、

 

周作は、

 

 

「剣か。瞬息」

 

と、のみ教えた。剣術の要諦は、

つきつめてみれば、太刀がより速く敵のほうへゆく。

 

つまり太刀行きの迅さ以外にはない。

 

ひどく物理的な表現であり教え方であった。

 

周作の剣を、宗教哲学といった雲の上から

地上の力学にひきずりおろした、といっていい。

 

「夫(それ)剣は瞬息、心・気・力の一致」と教えた。

 

そこにはもはや哲学性はなく純然たる力学的なもの、

それのみであった。

 

 

 

 

    (~以上参考文献=司馬遼太郎・著 「北斗の人」より、抜粋~)

 

 

 

 

 

 

読書の秋、文学の秋 ロマンスに浸れる、集中するには最適な気候です。

 

とくに非日常的な時代小説には、

無限の悠久なる世界へと旅する

”とき”の切符が秘められています。

 

 

 

次にご紹介しますのは藤沢周平作品から

「喜多川歌麿女絵草紙」の一節 (「~」は中略)

 

~女が不意に手にしていた鼻紙を顔に持っていき、

眼に押しあてるのを歌麿はみた。

 

そのまま、女はうつむいてじっとしている。

 その女は、茶店に入って来たときから、

歌麿の注意を惹きつけていたのである。

細身で脚のすらりとした黒眸がちの女だった。

   ~  

「非凡、ですな」

   ~  

 架空の、あるいは偽りの絵空事を、

いかにもまことらしくみせるのが

芝居というものだろうと歌麿は考える。

 

観客にまことだと思わせ、酔わせることが出来る役者が名優で、

偽りが透けてみえるような演技しかできなければ大根役者である。

 

 観客は役者を通して架空の世界をみ、酔うのだ。

 

役者絵も似たようなものだった。

 

 

 なるほど似顔絵ではあるだろうけれども、

錦絵を買いもとめる人人は、

一枚の錦絵から、やはり甘美な虚構の世界をのぞきみようとするのだ。

 

写楽の下絵は、錦絵の客が買いもとめたがっている

甘美な幻想をわざと払い落としている、と歌麿には思える。

 

描かれているのは、白井権八の衣装をまとったに過ぎない高麗蔵、

長兵衛の扮装をしたに過ぎない幸四郎だった。

 

役者から化粧をはぎ取って、日の下に晒したような一点ひややかな気分がある。

  ~

「役者絵を買う客は、やはり白粉をつけた役者をみたいわけですよ~」

  ~

「よしんば写楽で損をしても、

この男一人を世に出すための捨て金と考えれば、

惜しくない気もするし。

 

世に出すには、来年豊国にぶつけるしかないんだ」

  ~

「それは虚名に過ぎんのですが、

名声を得て、それですぐ飯が喰えるものと思いこんでいるところがありますな」

  ~

「戯作という仕事は、しょせん虚業です。

役者が舞台でお客をたぶらかすのと一緒ですな」

  ~

茶屋の中で、人眼もはばからず泣いていたお品は、

やがて日が翳ると立ち上がった。

 

何かよほど悲しいことがあって、押さえがきかなくなっているとみえる女が、

これからどうするつもりだろうと、よそながら気遣う気持もあった。

 

 

         ~以上、藤沢周平・著「喜多川歌麿女絵草紙」より抜粋~

 

 

 

藤沢周平記念館(山形・鶴岡市)

 

……これだけ読むとお品と言う女はなぜ泣いていたのか分からないが、

原作を読めばなんとなく分かる。

 

藤沢作品に出てくるようないい女だから小股の切れ上がった、

情細やかなおんなに違いないが……。

いったい何があったんでしょうね。

 

ここで、イマジネーションを働かすのも一興。

 

たとえば、

 

女は・・・・・・

そう、女は風邪を引いていた。

それで辛くて洟をかんだ。

 

いや、そうではない。

いいおんなは人前で洟をかんだりしない。不躾ではない。

やりなおし

 

 

~茶店に入ったお品という女は、

やおら懐から先ほど買い求めたお懐紙を取り出して 

 

「・・・・・・このお懐紙」。 (さざなみ紙である。)

 

すると、あの時のことが走馬灯のようにいきいきと駆け巡るように想い出された。

 

 

一子、大五郎はよく鼻水を垂らしていた。 

そしてお懐紙を出しては、よくチーンとかんでやっていた。

汗水も垂らして、それでも親子三人の毎日が幸せで……。

 

 ところが、そんな或る日の昼下がり、

突然、大五郎の通っている保育園から電話があって、

「発熱しているようなので迎えに来てください」との連絡。

 

急いでチャリで駆け付けてみると、大五郎はぐったりしている。

これはヤバいと思って、急いで大五郎を小児科に連れて行った。

 

すると、「これは猩紅(しょうこう)熱ですな」

 

という訳のわからない病気にいっとき狼狽えたが、

まず取り敢えず注射をして化学療法を試みて安静養生させる。

 

お品は必死でお百度を踏んだり、寝ずの看病でやつれるやら。

 

それでも前々から招待している親族一同や園の子らも座敷に上がって貰って、

大五郎は寝ていて同席していないが予定通りのハロウィンパーティーを始めた。

 

お品は複雑な心境であったが、子どもたちの楽しみを奪うことはできない。

 

きっと心優しいおんなであり、母親であったのに違いない。

 

デザートにはパンプキンケーキをだした。

陸奥から取り寄せたかぼちゃを湯がいて

すりつぶし味付けしたものだ。

 

みなが「おお、これは美味い」と共感すると、

 

不思議なことがおこったのである。

 

 

……あれは多分、一人のけ者にされて寝ていて、みんなで美味い物を喰ってると、

サザエさんとこのカツオのように食い意地が張っているので

 

どうしたことかまたとんでもない熱に浮かされたのか、

いてもたってもいられず突然大五郎が厨房に行き、

棚からザルを掴んで頭にザルをかぶせ、

お店の風呂敷をマントにして、満座の座敷の行灯の上で

 

「ガオー、座敷わらしだぞー」とマントヒヒだかオランウータンの

ようなおっかない顔をして爪を立てて何かになりきっていた。

鼻に何か詰めてある。

 そういえば猩紅熱は猩猩、オランウータンである。

 

一同は一体何が起こったのかと、きょとんと目を凝らしていたが、

 

大五郎 が突然 「フガフガ、鳥 食おう、鶏!

(Trick or Treat!) と言った。

 

その拍子に、鼻の穴へ詰め込んでいた 

鼻水栓用お懐紙の太めのこよりが、童子の鼻からぷっと吹き出したのである。

 

みていたものは、吹き出しそうになってあわてて口を押えたり、

笑いがバレないように下を向いているが肩が小刻みにクックックと震えている。

 

それまで怖い顔をつくっていたわらしが、

予期せぬできごとにふっと素である我に返って、

しまったと慌てて再び怖い猩猩(しょうじょう)をつくろうとした。

ますます顔が赤くなる。

 

しかし皆、目だけはあたたかくわらしを見まもる。

 

 

多くの目が集中する中、わらしにたらーり、たらたらじっとり油汗がうかぶ。

まるでガマの油だ。 一所懸命な筑波のガマガエル顔負け。

 

で、またガ、ガ ガオーと言おうとしたのだ。

 

が、鼻水がちょろり、ちょろり。と滴る。

 

当の大五郎、どうしたものか、もう、泣きそうな顔になってママの顔を見やる。

どうも情けない座敷童だ。

 

満座の一同そのドジ、いや健気さに今にも吹き出さんと、

おかしさをこらえてじっと見守っているところが優しい。

 

そのうち真っ赤な顔をしたわらし、大きく深呼吸をしたのはいいが、

O(オキシゲン)空気とNaCL(塩分)のしょっぱい鼻水をジュルジュル吸い込んだあと、

 

顔の真ん中から鼻風船がプゥ~とふくらんで、アワアワ泡てたわらし

みるみるうちに、シャボン玉のように赤や青の水膜が周りを奔る。

 

見られてのぼせた真っ赤な顔のわらしも、そしてまた、おかしさをこらえて固唾をのんで観まもっている一同も、座の空気が一瞬張り詰めた、緊張感で鳥肌が立った

 ハッ  と思った瞬間

 

その人情紙風船じゃない、鼻風船は

パーンとバブルのようにあっけなく弾けた。

 

こらえていた一同、ここでたまらず大笑いをした。

 

Trick or Treat!

 

あっはっはっはあ。ぎゃあはっはっは。

 

 

溜めの間が永かっただけ、笑いも収まらない。

なかには鼻水の飛沫を顔に浴びたまま涙や、

よだれまで垂らして笑いながらお懐紙で拭いている者もいる。

 

後から考えるとパーンという音がしたかどうかは定かではないが

兎に角そんな状況であった。

昔も今も、わらしのやることは何か間が抜けていてコミカルでもある。

ま、本人は大真面目なんだろうが。

それが却ってうけた。

今年のハロウィンは真に迫っていて

いやあ、良かったと大評判であった。

 

 

ま、言うてみればこれは、結果オーライ、万々歳である。

憑き物が落ちたというか、汗をかいて解熱したのが功を奏したといったところか。

鳥ついていた猩紅熱も大笑いと共にふっとどこかへ吹っ飛んで行ってしまったのである。

 

 

……お品はその時のことを思い出したのであろう。

双眸になみだを溜めて。

お懐紙でそれを拭って袂(たもと)にしまった。

 

それでも女はまだ思い出し笑いをしながら、

家族でここのファミレスに来たっけ。

 

・・・・・・。

 

 

 

とまた泣き笑い、笑い泣きをしては泪ぐんでいたのである。

 

 

 

3.01魔女3.01ハロウィンは子どもに大人気♪

 

 

        つるかめ鶴亀(めでたしめでたし)~

 

 

 

 

~それも自由な表現ではあるが、本格的な日本情緒の細やかなお話が

藤沢さんの作品には似つかわしい。

 

たとえば、上記の「喜多川歌麿女絵草紙」にふっと登場するようないい女。

 

その線を辿ると・・・・・・こんなデッサンになってこないだろうか。

 

 

 今でこそ知られた一人の名優や優れた政治家を育てたかげには、

多くのいい女がいて、

それらおんなの苦労や自己犠牲的献身の

情の機微を代弁する力量をつけた者が、

共通の社会的作品として世に出され、

 

それに尽くした人々の犠牲が報われた人間の一生を、

真実と虚構を交え

多くのイマジネーションを駆り立て、

 

夢をリアルに大胆に演じ、描いた作品には

 

なぜか”秋”を感じさせてくれるものがある。

              

 

 

  長州・萩

 

非日常性を味わうには、読書だけではありません。 

 

そう、旅も旅情を掻き立てられますね。


Happy  halloween party❗️

 

 

さて、今日はここまで。  それでは、また!  アデュー     (~吟~)