ここからは、禍福は糾える縄の如し。
災い転じて福と成す。
明鏡止水になぞらえて、粛々淡々着々と国民の昭和史検証を進めて参ります。
日本もこの時期戦争に巻き込まれます。
戦争回避の手段は無かったのか?
さて本日は、第8集と相成りますが、1937年(昭和12年)から1940年(昭和15年)の間、国民スポーツ・文芸活動や娯楽などはどうであったのか?
それぞれの切手に凝縮されている奥行きを観とおしながら、あれこれ自由なイマジネーションで昭和史を振り返ってみましょう。
なんだか地味というかレトロ感がいっぱいで、眠っていた血のDNAが郷愁を呼び覚ますかもしれませんね。
先ず外国のご婦人と古い型の飛行機、そして野球選手と相撲取り、さらに棟方志功の絵が目に飛び込んできましたが、それはこの時代の現象でしょうか。
解説文を読んでみましょう。
「追補」この間、1931年に満州事変が、そして、1937年に日中戦争が勃発している。
①ヘレン・ケラー女史初来日
1937年(昭和12年)、ヘレン・ケラー女史が初来日した。
同女史は生後19か月で熱病のために目、耳、及び言葉が不自由になったが、家庭教師のアン・サリバン先生とともにそのハンディキャップを克服し、障碍を持つ人々に希望を与えた。
日本へは合計3度訪れ、障害者の福祉向上のために全国を回った。
映画「奇跡の人」も公開されたし、舞台公演も幾度か上演された。
② ③ 神風号・ニッポン号飛行成功
米国ライト兄弟の初飛行から30余年後、リンドバーグの大西洋単独無着陸飛行から10年後の1937年(昭和12年)、朝日新聞社所有の純国産機「神風号」は、東京(立川飛行場)~ロンドン(クロイドン飛行場)間で全飛行距離1万5,357kmを、実飛行時間51時間19分23秒で飛行した。
また、1939年(昭和14年)には、毎日新聞社所有の純国産双発輸送機「ニッポン号」は、羽田空港から東回りで5大陸20ヵ国を所要日数56日、実飛行時間194時間で回る世界一周飛行の壮挙を遂げた。
④千人針・国民帽・モンペ
1937年(昭和12年)には、戦局の厳しさから赤紙(徴兵)で出征する兵士の無事を祈り、千人の女性が一人一針ずつ縫う布「千人針」が流行った。街頭で協力を請う女性たちの姿が見られるようになった。
1940年(昭和15年)には、国民服令より、戦時下の男性用服装として「国民服」が制定された。
また、女性用防空服装として「モンペ」が普及した。
*この当時の事を現代風リアルに知りたければ、いい本がある。荻原浩の「僕たちの戦争」だ。
私はこの本を読んで霞ヶ浦を取材した。
土浦駅で。でもモンペは穿いてなかった。今頃どうしてるかな?
戦局が危うくなってくると予科練では、空や海で特攻訓練を実施。
⑤「路傍の石」山本有三
初版本表紙と肖像
1937年(昭和12年)、作家山本有三の小説「路傍の石」が新聞に連載され、逆境をはね返して生きる少年像が好評を呼んだ。
その後、新聞から雑誌へと連載の場を移し、最初から書き直されるが未完のまま1941年(昭和16年)8月に「新篇 路傍の石」が刊行された。
*名言「たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない人生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか。」で有名。
⑥映画「愛染かつら」
ポスターの題字と一場面
1938年(昭和13年)、川口松太郎原作、田中絹代・上原謙共演の映画「愛染かつら」が公開された。 桂の木がキーワード。
この映画は、あらゆる困難を乗り越える二人のメロドラマで、爆発的な人気を集め、レコード売上げ120万枚を記録した主題歌「旅の夜風」とともに、人びとの心に潤いと安らぎを与えた。
⑦横綱双葉山の69連勝
土俵入り姿のイメージと当時の番付表
1939年(昭和14年)、第35代横綱双葉山が69連勝の偉業を達成した。
⑧沢村栄治投手
沢村賞でお馴染みの沢村栄治投手は、柔軟で華麗なフォームから繰り出す快速球と大きく落ちるドロップで、草創期の日本プロ野球を代表する投手となった。
同投手は最優秀選手、最優秀勝率、最優秀防御率などのタイトルを獲得し、1940年(昭和15年)には3度目のノーヒット・ノーランを達成するなど大活躍した。
⑨誰か故郷を想わざる(楽譜表紙)
1940年(昭和15年)西条八十作詞、古賀政男作曲の「誰か故郷を想わざる」が霧島昇の歌でレコード化され、大ヒットした。
故郷への思いを切々と歌ったこの歌は、海外の戦地へ赴いた兵士たちから圧倒的な支持を受け、その後国内でも流行した。
⑩棟方志功の活躍
鐘渓公「唐衣の柵」・棟方志功
版画家・棟方志功は、版画は板のいのちを掘り起こすことと言う考え方から「版画」と書き表し、その信念を持って大胆率直に表現した傑作を次々と生み出した。
棟方志功の作品は、普遍的人間感情の表出として国際的にも高い評価を受けている。
シート余白部分:沢村栄治投手
【感想】
どれも奥が深い偉業であるが、これが戦時中でありながら、その苦しさをものともせず、それぞれがそれぞれの道で最善を尽くしたことが、今回の特色であろうと想われる。
(吟)