20世紀デザイン切手 第8集 | 地球の日記☆マーク♪のblog☆

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この地球は今大きく変わろうとしている。自国主義からコロナ禍を経て、調和・融和へとイノベーション(変革)し、人生100年時代へ向けて脱炭素の環境優先へとベクトル(地球的エネルギー動向)が動いた。
常に夢を持って波に乗ろう!

 

 

ここからは、禍福は糾える縄の如し。

災い転じて福と成す。

明鏡止水になぞらえて、粛々淡々着々と国民の昭和史検証を進めて参ります。

日本もこの時期戦争に巻き込まれます。

戦争回避の手段は無かったのか?

 

 

 

さて本日は、第8集と相成りますが、1937年(昭和12年)から1940年(昭和15年)の間、国民スポーツ・文芸活動や娯楽などはどうであったのか?

それぞれの切手に凝縮されている奥行きを観とおしながら、あれこれ自由なイマジネーションで昭和史を振り返ってみましょう。

なんだか地味というかレトロ感がいっぱいで、眠っていた血のDNAが郷愁を呼び覚ますかもしれませんね。

 

 

先ず外国のご婦人と古い型の飛行機、そして野球選手と相撲取り、さらに棟方志功の絵が目に飛び込んできましたが、それはこの時代の現象でしょうか。

 

 

 

解説文を読んでみましょう。


 「追補」この間、1931年に満州事変が、そして、1937年に日中戦争が勃発している。


①ヘレン・ケラー女史初来日

1937年(昭和12年)、ヘレン・ケラー女史が初来日した。

同女史は生後19か月で熱病のために目、耳、及び言葉が不自由になったが、家庭教師のアン・サリバン先生とともにそのハンディキャップを克服し、障碍を持つ人々に希望を与えた。

日本へは合計3度訪れ、障害者の福祉向上のために全国を回った。

映画「奇跡の人」も公開されたし、舞台公演も幾度か上演された。

 

② ③ 神風号・ニッポン号飛行成功

米国ライト兄弟の初飛行から30余年後、リンドバーグの大西洋単独無着陸飛行から10年後の1937年(昭和12年)、朝日新聞社所有の純国産機「神風号」は、東京(立川飛行場)~ロンドン(クロイドン飛行場)間で全飛行距離1万5,357kmを、実飛行時間51時間19分23秒で飛行した。

また、1939年(昭和14年)には、毎日新聞社所有の純国産双発輸送機「ニッポン号」は、羽田空港から東回りで5大陸20ヵ国を所要日数56日、実飛行時間194時間で回る世界一周飛行の壮挙を遂げた。

 

④千人針・国民帽・モンペ

1937年(昭和12年)には、戦局の厳しさから赤紙(徴兵)で出征する兵士の無事を祈り、千人の女性が一人一針ずつ縫う布「千人針」が流行った。街頭で協力を請う女性たちの姿が見られるようになった。

1940年(昭和15年)には、国民服令より、戦時下の男性用服装として「国民服」が制定された。

また、女性用防空服装として「モンペ」が普及した。

*この当時の事を現代風リアルに知りたければ、いい本がある。荻原浩の「僕たちの戦争」だ。

私はこの本を読んで霞ヶ浦を取材した。

 

土浦駅で。でもモンペは穿いてなかった。今頃どうしてるかな?

 

戦局が危うくなってくると予科練では、空や海で特攻訓練を実施。

 

⑤「路傍の石」山本有三

初版本表紙と肖像

1937年(昭和12年)、作家山本有三の小説「路傍の石」が新聞に連載され、逆境をはね返して生きる少年像が好評を呼んだ。

その後、新聞から雑誌へと連載の場を移し、最初から書き直されるが未完のまま1941年(昭和16年)8月に「新篇 路傍の石」が刊行された。

*名言「たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない人生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか。」で有名。

 

⑥映画「愛染かつら」

ポスターの題字と一場面

1938年(昭和13年)、川口松太郎原作、田中絹代・上原謙共演の映画「愛染かつら」が公開された。 桂の木がキーワード。

この映画は、あらゆる困難を乗り越える二人のメロドラマで、爆発的な人気を集め、レコード売上げ120万枚を記録した主題歌「旅の夜風」とともに、人びとの心に潤いと安らぎを与えた。

 

⑦横綱双葉山の69連勝

土俵入り姿のイメージと当時の番付表

1939年(昭和14年)、第35代横綱双葉山が69連勝の偉業を達成した。

 

⑧沢村栄治投手

沢村賞でお馴染みの沢村栄治投手は、柔軟で華麗なフォームから繰り出す快速球と大きく落ちるドロップで、草創期の日本プロ野球を代表する投手となった。

同投手は最優秀選手、最優秀勝率、最優秀防御率などのタイトルを獲得し、1940年(昭和15年)には3度目のノーヒット・ノーランを達成するなど大活躍した。

 

⑨誰か故郷を想わざる(楽譜表紙)

1940年(昭和15年)西条八十作詞、古賀政男作曲の「誰か故郷を想わざる」が霧島昇の歌でレコード化され、大ヒットした。

故郷への思いを切々と歌ったこの歌は、海外の戦地へ赴いた兵士たちから圧倒的な支持を受け、その後国内でも流行した。

 

⑩棟方志功の活躍

鐘渓公「唐衣の柵」・棟方志功

版画家・棟方志功は、版画は板のいのちを掘り起こすことと言う考え方から「版画」と書き表し、その信念を持って大胆率直に表現した傑作を次々と生み出した。

棟方志功の作品は、普遍的人間感情の表出として国際的にも高い評価を受けている。

 

シート余白部分:沢村栄治投手

 

 

【感想】

どれも奥が深い偉業であるが、これが戦時中でありながら、その苦しさをものともせず、それぞれがそれぞれの道で最善を尽くしたことが、今回の特色であろうと想われる。

       (吟)