秋なので憂愁なる想いを馳せ、温故知新と称して、懐かしの写真や事案などを虫干し代りに一挙公開します。
さて、それでは拙ブログ好評の20世紀タイムトラベルの資料である同デザイン切手第3集を開いてみましょう。
今日はどんなレトロな文明開化の香りがしてくるか……。
時は1914年(大正3年)から1919年(大正8年)までの5年間。日本でどんなファッションが流行り、どんな事案があったか、振り返ってみます。
この第3集では、東京駅と芥川龍之介、竹久夢二ぐらいは分かりますが、あとは何でしょう?
第3集の解説を読んでみましょう。
① ② 東京駅開業(連刷)「東京停車場之図」
1914年(大正3年)、総工費280万円(当時)、工期6年半を費やした中央停車場が完成、東京駅と命名された。オランダのアムステルダム駅をモデルにしたルネサンス様式の鉄骨煉瓦造りの3階建てで、設計は建築家、辰野金吾。
駅舎の特徴であるドームの高さは37.6m、総面積約22万平方米で、近代都市・東京にふさわしい表玄関として今日に受け継がれている。
切手にはありませんが、これは東京駅から程近い、春霞の皇居二重橋前です。
③第一次世界大戦
「少年軍艦すご六」(のイラスト)は實業之日本社発行の雑誌「日本少年」、大正6年1月号付録。
1914年(大正3年)6月、オーストリア皇太子がセルビアの青年に暗殺された。この事件を契機に翌月、第一次世界大戦が勃発した。同年8月、日本は日英同盟に基づきドイツに宣戦布告した。1919年(大正8年)、パリ講和会議においてベルサイユ条約が締結され、大戦は終結した。
④洋髪流行
洋髪姿の女性(ウェーブと耳隠し)
洋髪とは西洋風の髪の結い方のこと。大正時代に入ると、洋髪を取り入れる婦人が増加。
髪にウェーブをつけた「女優まげ」、「耳隠し」などのほか、女性のオールバックやショートカットなどの、活動的な洋風ヘア・スタイルが流行した。
⑤「羅生門」「鼻」(芥川龍之介)
芥川賞で有名な芥川龍之介の最初の短編集「羅生門」が、1915年(大正4年)に発刊。
小説家として大きな一歩を踏み出すきっかけとなった。表題作「羅生門」のほか「鼻」「芋粥」など、古典に題材を求めた20代半ばの初期作品が集められている。
⑥簡易生命保険(カンポ)始まる (創業当時のポスター)
1916年(大正5年)10月、簡易生命保険が国営事業として創始された。当時の簡易生命保険の種類は終身保険と養老保険の2種類。小額、無審査、月掛け、集金という特色を持つ個人向けの小口保険が広く受け入れられ、創業初年度の契約件数は26万6千件余と、予定の2倍以上に達した。
⑦大正デモクラシー
吉野作造博士の肖像と雑誌「白樺」の創刊号表紙。
大正デモクラシーとは、政治・社会・文化の各方面に現われた民主主義・自由主義的傾向を言う。東京大学教授・吉野作造は『民主主義』の主張を発表し、大正デモクラシーに大きな影響を与えた。また、雑誌「白樺」を中心とした白樺派の文学などが都市部で注目、歓迎された。
⑧米騒動
白米巡回販売風景と米騒動絵巻。
第一次世界大戦による好景気で物価が急激に高騰し、中でも米価は軍用米の需要増大を見越した米穀商人の買い占めや、地主の売り惜しみもあって、1918年(大正7年)7月頃から異常に値上がりした。
こうした中、富山県魚津町の女性たちが米の県外移出に反対する行動を起こしたことがきっかけとなって米穀店を襲う騒動が全国各地で起こった。
⑨ ⑩ 竹久夢二の活躍
版画「宝船」半襟図案「玉椿」と肖像。
画家、竹久夢二は大正期に独特の美人画と抒情詩文で一世を風靡した。
新聞や雑誌の挿絵で人気を博し、1914年(大正3年)には絵葉書や小物を売る絵草子店「港屋」を開店、デザイナーとしても先駆的業績を残した。
1919年(大正8年)頃から「黒船屋」「稲荷山」「女十題」「灯ともし頃・秋の丘」などの傑作、代表作を次々と生み出した。
・・・・・・とある。
夢二の美人画、ですか?
美人の尺度というのは時代と共に変わるのでしょうか?
平安時代の美人画というのはポッチャリ系が多かった感がしたが、竹久夢二の時代はこんなの
こんなのと言っては失礼だが、何となく儚い女っぽい、のが受けていたようで……。
それは猫に似た、スマートなタイプ。
ご存知「黒船屋」の猫を抱く女。
猫とマッチした、なんとも、しなやか(さふ)な女性ですな。 🌸🧑
今日は、ここまでにしておこう。(吟)