20世紀デザイン切手 第4集 | 地球の日記☆マーク♪のblog☆

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この地球は今大きく変わろうとしている。自国主義からコロナ禍を経て、調和・融和へとイノベーション(変革)し、人生100年時代へ向けて脱炭素の環境優先へとベクトル(地球的エネルギー動向)が動いた。
常に夢を持って波に乗ろう!

 猛暑もここまでくれば地球温暖化を再考しないわけにはいかないような、あっつ~い2023年の夏と残暑でした。

然しキンモクセイの救われるような香りや実りの秋の便りで、外出や食欲が増してきて前向きに諸活動が例年になくできそうで、ブログに於いて皆様と一瞬でも文化的交流に携われる事のよろこびと発見は、拙ブログ更新の励みとなるでしょう。

 

 さて20世紀の世相を反映させた事実が、それぞれ「切手」のデザインに当時のシンボルとして顕れているという。

発行元である郵便局の思想もあるだろうが、想像を掻き立てる世界を共有できたらと思ひつつ、第4集を開いて見ることにしよう。

 

 

これは何だ?

 

この中で分かるのは、鶴と甲子園と時代劇ぐらいしか認識できないが、なぜ甲子園というのか?その由来など解説書を読んでいきましよう。

 

 

これらから、当時の国民の流行、流れ、ブームを探ってみると、暗中模索ながら日本人の徳性のような、ひとつの傾向、方向性が見えてくるのではないだろうか、という仮説をたてて想像を掻き立ててみる。

 

①箱根駅伝始まる

1920年(大正9年)2月14、15の両日、第一回東京箱根間往復大学駅伝競走(現在通称:箱根駅伝)が開催された。この時の参加校は、東京高等師範・明治・早稲田・慶應の4校であったことから、大会名は「四大校駅伝競走」と称され、東京高等師範が15時間5分16秒の記録で優勝した。

 

②ゴンドラの唄

抒情的な歌詞と哀調を帯びた旋律でヒットした。蓄音機の普及とレコード化が重なったこともあり「1920年(大正9年)に大流行し、大正時代を代表するメロディーとなった。

 

③関東大震災

震災直後の浅草「凌雲閣」(通称「12階」と呼ばれた八角塔の展望塔で、近くに凌雲閣を模した「仁丹塔」も後建てられた)

1923年(大正12年)9月1日、関東地方を襲った大震災。震源地は相模湾の伊豆沖30kmで、震源の深さ15km、マグニチュードは推定7.9と言われている。家屋の倒壊に加えていたるところで火災が発生したこともあり、死者・行方不明者14万人以上、全壊・流出・全焼家屋は50数万戸以上にのぼる未曽有の大災害となった。

 

④マンガ「のんきなトウサン」

「のんきなトウサン」が1923年(大正12年)、新聞連載漫画として始まった。新聞社の漫画記者だった作者の麻生豊が「関東大震災の被災者の心を慰め、社会を明るくするような漫画を」と言う社命に応えて連載が始まったもので、現在の新聞の4コマ漫画のスタイル(起承転結)を確立した。

 

⑤マンガ「正チャンの冒険」

1923年(大正12年)に新聞連載が始まった「正チャンの冒険」は、少年がリスをお供に従え、陸海空を駆け巡る冒険ファンタジー漫画。主人公の少年がかぶっている帽子が「正ちゃん帽」と呼ばれて流行するほどの大人気となった。

 

⑥タンチョウ

赤い頭頂部が特徴のタンチョウは、明治期に入ってからの濫獲などにより、一時期は絶滅したと考えられていた。1924年(大正13年)、釧路湿原にわずかながら生息が確認されたため、生息地が禁漁区に指定された。

1952年(昭和27年)に特別天然記念物に指定され、現在は約700羽の個体が確認されている。

 

⑦甲子園球場開場

1924年(大正13年)アメリカのヤンキー・スタジアムなどを参考に、第10回全国中等学校優勝野球大会に間に合うよう建設され、この年の干支にちなんで甲子園大運動場と名付けられた。

打ち放しの外壁に絡ませたツタは、現在では阪神甲子園球場の象徴となっている。

 

⑧、⑨ 無声映画全盛

⑧映画「国定忠治」の尾上松之助(目玉の松ちゃん)

⑨映画「雄呂血」の阪東妻三郎(田村4兄弟の父)

1929年(大正14年)頃、欧米の風俗が盛んに移入される中で、弁士や伴奏音楽付きの活動写真(無声映画)が人気を集めた。

尾上松之助、阪東妻三郎ら映画スターが誕生し、その後の日本映画の基礎が形成された。

 

⑩モダンボーイ・モダンガール

当時の風俗のイメージ。

大正の終わりから昭和初期にかけて、欧米の風俗や文化に魅せられたモダンボーイ・モダンガールと呼ばれる若者が登場した。

女性は断髪に洋装、男性は山高帽にロイドめがね、裾の広いズボンが流行の最先端となった。

これらはその後の昭和のファッションベースとなった。

 

<シート余白部分>

版画「銀座風景」 1927年(昭和2年)資生堂発行の「御婦人手帳」に掲載された版画。

 

 

・・・・・・とある。

 

【感想】

 そのバックというかシート余白部分が、当時の和洋折衷(パリ・モードと和の着物)の風俗をリアルに表していて、大正時代もカオス(混沌)の時代だったのかな、と思わざるを得ない。

 

 アニメの元祖、漫画は大正時代にもあって、言葉だけでなく絵も書いて4コマに纏め伝えるのは、相当な苦心が要りそうだな。

 

これまで見て来た切手とその解説を通して、大正時代の人々の気質というか感じ方がおぼろげながらみえてくるように思えます。

 明治の開国と関東大震災で、大正時代の国民は多様化したことがみてとれます。

 

マンガや米国式野球、無声映画、モボ・モガのファッションなど海外のエンターテイメントに刺激されて、国内の娯楽の基礎が構築されつつあるように窺われました。

 

 さあ、これからどんな経路をたどってどんな国民になっていくのでしょう。

 

        (吟)

 

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