20世紀デザイン切手 第6集~2.26事件 | 地球の日記☆マーク♪のblog☆

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この地球は今大きく変わろうとしている。自国主義からコロナ禍を経て、調和・融和へとイノベーション(変革)し、人生100年時代へ向けて脱炭素の環境優先へとベクトル(地球的エネルギー動向)が動いた。
常に夢を持って波に乗ろう!

 こんにち地政学的リスクを抱えた紛争地帯や、一方、国内での物価高など不安の種は尽きませんが、気を紛らす事で時の解決を待つしかないのでしょうか。


 その意味ではこの温故知新は、事実だけに説得力があると眺めているのですが、集中力がないとなかなかタイムスリップ出来ませんね。

 

 さて、これらの切手はこの国で実際にあった史実、事柄を図案化したもので、社会現象となった背景などを推察して「流行」という人気のうねりを分析してみるのも一興かと思います。

 こんなだらけた社会だから、軍部の台頭を許してしまうのでしょうね。

 

それでは第6集はじまりはじまりぃ~♪

 

 

これをパッと見て私がどう思ったか申しましょうか。

これまでの絵に較べて今回はやや地味な絵で、これがその頃(大正末期~昭和初期)の世相を映した日本的と申しますか、平面的な絵で、漫画も小学生が書いたような下手な犬(のらくろ)の絵など、こういうものが当時流行したのかと思うと、「井(戸)の中の蛙、大海を知らず」でまだまだ覇気を持って改良の余地はあったなと歯がゆくも思いました。

 

しかし解説文をも読み砕いて行かないと総合的な真価はわかりません。

 

 

この解説文はスマホの拡大機能を使えば詳しく見えるでしょう。

①昭和初期の浅間山

長野・群馬県境にそびえる浅間山(標高2,568m)は古くから多数の噴火が記録されているわが国の代表的な活火山の一つで、昭和初期にも火山活動が活発化した。

1929年(昭和4年)の噴火では山林が焼失したほか、直径30~60mの噴石が3kmも飛んだ。またその翌年に6名、翌々年にも3名の死者を出す大規模な噴火が続き、噴石に加えて広範囲での降灰が観測された。

 

②「蟹工船」小林多喜二

大正末から昭和初期にかけての社会・労働運動の高揚にともない、社会問題を扱ったプロレタリア文学がおこった。

1929年(昭和4年)、作家小林多喜二が全日本無産者芸術連盟の機関誌・戦旗に発表した「蟹工船」は、日本のプロレタリア文学の代表的な作品となった。

 

③ハンドバッグを持つ女性と・開襟シャツ

大正から昭和初期にかけて洋装が一般的になると、女性の間では「ハンドバッグを持つことが流行し、必需品となっていった。

1930年(昭和5年)頃には布製のものだけではなく、皮革製のものも登場した。また、男性の間では1934年(昭和9年)頃、湿度の高い日本の夏に適した「開襟シャツ」が流行した。

 

④ ⑤ 国産乗用車量産始まる

(左)ダットサン10型ロードスター

(右)トヨダAA型乗用車

背景はダットサン10型フェートン

わが国の自動車産業は、昭和初期に大きな転換期を迎えた。1932年(昭和7年)、純国産小型乗用車として初めて「ダットサン10型」の量産が開始された。ボディーは購入者の好みに合わせて販売会社が生産し、ロードスター、フェートン等がつくられた。また、1936年(昭和11年)には「トヨダAA型乗用車」の生産も開始された。

 

⑥マンガ「のらくろ」(単行本「のらくろ上等兵」の一コマ

1931年(昭和6年)、少年倶楽部新年号から漫画家田河水泡の生み出した「のらくろ二等卒」の連載が開始された。

主人公である不遇な野良犬くろが、数々の失敗をしながらも出世していく物語は大人気となり、出版社にファンレターが殺到。当初2年間の予定だった連載は約11年という長期に及んだ。

 

⑦ ⑧ 日本ダービー始まる

(左)第1回日本ダービー優勝馬ワカタカ

(右)第2回日本ダービー優勝馬カブトヤマ号と目黒競馬場

1932年(昭和7年)、第1回の日本ダービーが「東京優駿大競争」の名で、距離2,400m、出走馬19頭により、目黒競馬場で開催された。記念すべき第1回の優勝馬は「ワカタカ号」、第2回の優勝馬は「カブトヤマ号」。カブトヤマ号はのちに種牡馬(たねうま)となり、第14回ダービー優勝馬のマツミドリ号等を産出した功績をたたえられ、カブトヤマ記念競走が設けられた。

 

⑨影を慕いて(楽譜表紙部分)

1931年(昭和6年)、古賀政男作詞・作曲の「影を慕いて」が佐藤千夜子の歌でレコード化、さらに翌年、当時新人歌手だった藤山一郎の歌でもレコード化され大ヒットした。

古賀政男自身の青年時代の悲恋を綴ったこの歌は、今も多くの人々に愛されている数々の「古賀メロディ」を代表する1曲となった。

 

⑩五・一五事件 二・二六事件

二・二六事件当日の国会議事堂周辺の鎮圧部隊

1932年(昭和7年)5月15日、海軍の青年将校らが首相官邸、警視庁、日本銀行などを襲い、犬養毅首相を殺害した。

また1936年(昭和11年)2月26日には陸軍の青年将校らが高橋是清大蔵大臣、斎藤実内大臣らを殺害し、首相官邸等を占拠したが、鎮圧された。

 

 

 

【感想】わが国なりのデモクラシー(民主主義)が育まれていきつつあったのが、この切手第6集全体の暗い色調に見られるように、その前途を暗示しているかのごとく、「のらくろ上等兵」が国民に人気だったこともあってか、⑩の二つのクーデター騒動は、治安当局が軍部を充分監視できるオペレーション体制にまで至ってなかったという、コーポレートガバナンスの脆弱性が、のちの悲劇を産むことになった、この国の忸怩たる暗雲を示唆しているように思える。

 

さて、この次第7集はいかに相成りますやら……。       (吟)