今日は、文化の日ですね。
埼玉県入間航空基地で、例年この日に
ブルーインパルスなどの展示飛行が行われます。
さて、こちらでは、淡々と日本の文化の足跡を辿っていきます。
さあ、今日も近代日本史を検証していきましょうか。デザイン切手で。
先ず、例によって切手の図案から。
この中で目を引くのが、紳士と原爆ドームと黄色いパンジーの花。
年代は1940年代前半。というと太平洋戦争の戦前戦中戦後。
①杉原千畝(すぎはら ちうね)副領事がビザ発給
肖像とユダヤ人に発給したビザ(通過査証)とイスラエル政府より贈られたメダル。
1940年(昭和15年)、カウナス(当時のリトアニアの首都)領事館の杉原千畝は、ナチスの迫害から逃れるために日本の通過を求めたユダヤ人約6千人に対して、当時同盟国のドイツには内緒でビザ(査証)を発給した。
1985年(昭和60年)イスラエル政府から、ユダヤ建国に尽くした外国人に与える勲章「諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)」を授与された。
②国民学校始まる
教科書「ヨミカタ」の挿絵
1941年(昭和16年)に国民学校令が公布され、小学校は尋常小学校から国民学校と改称された。
③真珠湾攻撃・太平洋戦争勃発
真珠湾上空を飛ぶ日本軍の飛行機
1941年(昭和16年)12月8日、海軍がハワイ・オアフ島の真珠湾を攻撃し、日本とアメリカなどとの間の太平洋戦争が始まった。
④高村光太郎が詩集「道程」で第1回帝国芸術院賞
肖像と初版本の中扉題字と詩の一部
1942年(昭和17年)彫刻家・詩人高村光太郎の詩集「道程」が現在の日本芸術院賞にあたる帝国芸術院賞を受賞。
⑤噴煙を上げる昭和新山
1943年(昭和18年)末に、北海道南西部洞爺湖南岸の有珠山山麓一帯で有感地震が続発し、有珠山中腹の麦畑が隆起し始めた。
翌年6月の最初の噴火の後、隆起と噴火が繰り返され、12月には溶岩ドームが観測された。
一連の火山活動は1945年(昭和20年)に停止し、海抜407mの昭和新山が誕生した。
⑥広島被爆
広島の原爆ドーム
⑦長崎被爆
長崎の平和記念像
⑥ ⑦ 1945年(昭和20年)8月6日に広島、ついで9日には長崎に人類史上初めての原子爆弾が米軍爆撃機から投下された。これによって両市は一挙に壊滅し、同年12月末までに、広島で約14万人、長崎で約7万4千人もの尊い生命が奪われた。
⑧終戦
戦艦ミズーリ号の艦上で行われた降伏文書の調印式
(写真・共同通信社)
1945年(昭和20年)8月14日、政府は御前会議でポツダム宣言の受諾を決定し、翌15日正午、天皇陛下の玉音ラジオ放送によって、戦争が終わった事を国民に知らされた。
9月2日、東京湾上のアメリカ軍艦ミズーリ号で降伏文書の調印式が行われ、長かった戦争が終結した。
⑨ ⑩ 黄金バット
(左)紙芝居「黄金バット」 (右)マンガ「黄金バット」 (大空社・少年画報社~)
昭和初期に、子ども相手に演じる紙芝居の主人公として、鈴木一郎作「黄金バット」が、黄金骸骨に赤マント、中世騎士風のスタイルで圧倒的な人気を博した。
戦時中、紙芝居は一時すたれるが、戦後まもなくに復活し、黄金バットが再び人気を集め、児童雑誌にも連載され、後にはアニメーション化された。
シート余白部分:高村智恵子作「パンジー」(紙絵)
彫刻家・詩人として有名な高村光太郎は、安達町油井(現 二本松市)出身の長沼智恵子と知り合い、結婚しました(大正3年)。 二本松市の霞ヶ城には、有名な『智恵子抄』の“樹下の二人”の一節が碑としてきざまれています。
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空がみたいといふ。
(中略)
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
【感想】その頃の日本にとっては軍部の独走のような苦い戦争の時期であったにもかかわらず、全国民それぞれが逞しく生き、今日の繁栄と平和を築き、そして今も四季を愉しみ、花を愛おしみ、ま、それなりに幸せな日々をおくっていられる事に、多くの犠牲や英霊たち、そして天に感謝せずにはいられません!
さて、この中で⑦の長崎平和記念像にはいい思い出があります。
長崎ひとり旅で、バスガイド付き長崎市内観光バスに乗ったのだが……。
あれは、グラバー亭とか、出島オランダ館、平和記念像、大浦浦上天主堂、眼鏡橋、中華街、蝶々(グラバー・ツル)夫人像などを観光バスで周る名所案内を、紺の制服に身を包んだ美人バスガイドさんが小旗をかざして、笑顔を絶やさず、丁寧に案内してくれました。
今でも彼女の一挙手一投足がまぶたに浮かび、はて今頃彼女はどうされているのか?
と、彼女の案内してくれた言葉が甦ります。
あれは平和祈念像の前でしたか……。
「右手は天に犠牲者の冥福を、そして左手は水平に、どこまでも平和にと願い、そしてモデルは昭和のヒーロー力道山とも言われています。」
とガイダンスしてくれた言葉は今も私の耳に残っています。
長崎は何度行ってもいい。県民性もいいし、観光名所は多いし、バスガイドさんは美人が多い。
そして足腰の鍛錬にアップダウンのウォーキングは躰にもいい。
(吟)