20世紀デザイン切手 第13集 | 地球の日記☆マーク♪のblog☆

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この地球は今大きく変わろうとしている。自国主義からコロナ禍を経て、調和・融和へとイノベーション(変革)し、人生100年時代へ向けて脱炭素の環境優先へとベクトル(地球的エネルギー動向)が動いた。
常に夢を持って波に乗ろう!

 

 

 て、今日は11(いい)日更に11日。

邪念を討ち祓って好きなことに集中し、心身を鍛えるべく、20世紀切手の図案が印刷されるまでどういう事案があったのか、つぶさに観ていきましょう。同じ日本人の特質としてDNAの先、🧬延長線上が見通せるかも知れない。

 

 

こういうのも切手になるんですね。 という実感を持ちました。

早速、解説文を読んでいきましょう。

 

 

① ② ひょっこりひょうたん島

(左)NHK番組に登場した人形「ドン・ガバチョ」と「トラヒゲ」

(右)同番組に登場した人形「ハカセ」と「ライオン」背景は「ひょうたん島」

(取材協力:NHK 資料提供:ひとみ座企画)

(解説)1964年(昭和39年)人形劇「ひょっこりひょうたん島」のテレビ放送が始まった。この放送は、1969年(昭和44年)までの5年間で1,224回に及び、動く島「ひょうたん島」で繰り広げられる物語は、子供たちから圧倒的な人気を集めた。

 

*このひとみ座というのは、NHK作家・井上ひさし氏が主宰していた。その後娘の井上麻矢氏が引き継いでいる。詳しくは「女にとって夫とは なんだろうか」をご覧あれ。

 

 

女性の自立とそれぞれの生き方は参考になる。

 

 

③新三種の神器

当時のカラーテレビ・車・クーラーのイメージ

(資料提供:ソニー、トヨタ、日立製作所)

(解説)経済成長に伴い、国民の所得水準が上昇したことで、生活様式の変化が進み、1950年代後半の三種の神器(電気洗濯機・電気冷蔵庫・白黒テレビ)に続いて1960年代後半には、カラーテレビ、車、クーラーが「新三種の神器」と呼ばれ普及していった。

 

*今だったら三種の神器って何だろう?

スマホに電動アシスト自転車、そして、……ブログかな。

 

④ ⑤ ウルトラマン

(左)番組開始当時の「ウルトラマン」

(右)同人気の怪獣「バルタン星人」

(解説)1966年(昭和41年)「ウルトラマン」のテレビ放映が始まった。M78星雲からやってきたウルトラマンは、一躍子どもたちのヒーローとなった。その後も「ウルトラセブン」など数多くのシリーズ作品が制作された。

ちなみに「ウルトラQ」は別物である。

 

⑥GSブーム

当時のエレキギター

(解説)1966年(昭和41年) ザ・ビートルズが来日公演行ったのを機に、エレキギター等を用いて数人でバンド編成したGS(グループサウンズ)が次々と誕生し、ブームが起こった。

ザ・タイガースとかあったな。

 

⑦ノーベル文学賞受賞

受賞時の川端康成と大江健三郎

(解説)1968年(昭和43年)作家・川端康成が、ノーベル文学賞を受賞した。著書に「雪国」「古都」等がある。

また1994年(平成6年)に作家・大江健三郎が、ノーベル文学賞を受賞した。著書に「飼育」「万延元年のフットボール」等がある。

 

⑧男はつらいよ

 

 

 

映画「男はつらいよ」シリーズ第1作の一場面

(解説)1969年(昭和44年)映画「男はつらいよ」が封切られた。主人公・車寅次郎を中心に繰り広げられるこの映画は、国民的大ヒットとなり、全48作のシリーズとなった。

 

⑨日本万国博覧会・太陽の塔

会場の「お祭り広場」に建つ太陽の塔

(解説)1970年(昭和45年) 大阪において、多数の国の参加により「人類の進歩と調和」をテーマに日本万国博覧会が開催された。

博覧会会場には岡本太郎作「太陽の塔」や参加国等のパビリオンが建設され、総入場者数は約6,400万人にも上った。

 

⑩戦争を知らない子供たち

楽譜と当時の若者に流行したファッション

(解説)1971年(昭和46年)北山修作詞、杉田二郎作曲の「戦争を知らない子供たち」が大ヒットした。

平和ボケの裏返しともいえる。

この頃ベトナムでは米中の代理戦争が長期化していた。

 

 

さて、今日はこれまで。      それでは、また。 

 

Have a nice day!     (吟)