20世紀デザイン切手 第14集(’73~’74の日本) | 地球の日記☆マーク♪のblog☆

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この地球は今大きく変わろうとしている。自国主義からコロナ禍を経て、調和・融和へとイノベーション(変革)し、人生100年時代へ向けて脱炭素の環境優先へとベクトル(地球的エネルギー動向)が動いた。
常に夢を持って波に乗ろう!

 さぶっ❗️ 東京では今日11月13日.3年ぶりに木枯らし1号が吹きました。

地球上で戦争が絶えないからなのか、Co2発生に伴い温暖化が進み、猛暑となり、2023年は、記録的異常気象に追い討ちをかけるような秋が短い、夏から冬へ一気に

ターンオーバー。

これは、人間性を試そうという天の意図なのか、、、


さて、過去にも何度かこのような事はあったようです。

今日は、そうした頃を脱し、平和を謳歌した1973年(昭和47年)~1974年(昭和49年) これはオイルショックの頃の社会現象のお話し。

当時、トイレットペーパー購入に行列ができた。

米軍がベトナムから引き揚げて行ってた頃。

銀座に歩行者天国ができたのもこの頃かな。

この頃の総理はいったい誰だったんだろう?

コンピュータ付ブルドーザーの田中角栄?

 

そういう時代背景を踏まえて、20世紀の社会状況はどうだったのか?

今日は第14集(1972年~1974年)に入ります。

あと四半世紀で21世紀になりますので、この20世紀デザイン切手シリーズはあと3回の第17集で完結です。

それでは観ていきましょう。

 

 

パンダとベルばらと宇宙戦艦ヤマト、それにプロ野球がパッと目を惹きますね。

 

 

①②高松塚古墳壁画発見

(左)東壁男子群像

(右)西壁女子群像

(資料提供:明日香村教育委員会)

(解説)1972年(昭和47年)奈良県明日香村にある高松塚古墳の内部で、男女の人物群像、四神、日、月、星宿が描かれた極彩色の壁画が発見された。

この壁画は、七世紀末~八世紀初頭に描かれたものといわれている。

1974年(昭和49年)には国宝に指定され、現在では保存のため密閉閉鎖されている。

 

③ジャイアントパンダ初来日

来日したカンカン(手前)とランラン(後方)

(解説)1972年(昭和47年)日中国交正常化を記念して、中国から日本へジャイアントパンダが贈られた。

オスのカンカンとメスのランランの2頭は、東京・上野動物園で一般公開され人気者となった。

 

④沖縄復帰

守礼門と紅型(びんがた)の文様

(解説)1972年(昭和47年)アメリカの施政下におかれていた沖縄について、前年に署名された沖縄返還協定を受けて、27年ぶりに日本に施政権が返還された。当日は東京と沖縄で同時に記念式典が開催された。

 

⑤ベルサイユのばら

昭和47年ごろに描かれた主人公「オスカル」の原画・池田理代子画

(解説)1972年(昭和47年)「ベルサイユのばら」の雑誌連載が始まった。この作品は、通称「ベルばら」と呼ばれて少女たちから人気を集め、後に宝塚歌劇団によっても公演された。

 

⑥小澤征爾の活躍

ボストン交響楽団音楽監督に就任した頃の指揮姿とオーケストラのイメージ

(解説)1973年(昭和48年)指揮者小澤征爾が、アメリカの名門オーケストラであるボストン交響楽団の音楽監督に就任した。

1959年(昭和34年)ブザンソン国際青年指揮者コンクールで優勝し、その後カラヤンに師事、バーンスタインに認められるなど国際的に活躍している。

 

⑦⑧ON時代・王貞治選手(左)と長嶋茂雄選手(右)の活躍

(解説)東京読売巨人軍の王貞治・長嶋茂雄両選手の活躍は目覚ましく、王選手は一本足打法で生涯本塁打868本を記録、また長嶋選手は魅力あるプレーから、ミスタージャイアンツの愛称で呼ばれた。両選手はON砲と呼ばれ、二人の活躍を中心として、東京読売巨人軍は、1965年(昭和40年)から日本シリーズ9連覇を達成した。

 

⑨襟裳岬

楽譜と襟裳岬の風景イメージ

(解説)1974年(昭和49年)岡本おさみ作詞、吉田拓郎作曲の「襟裳岬」が発表され大ヒットした。

 

⑩宇宙戦艦ヤマト

昭和49年頃に描かれた「ヤマト」の原画をアレンジ・松本零士画

(解説)1974年(昭和49年)「宇宙戦艦ヤマト」のテレビ放映及び雑誌連載が始まった。

この作品は、後に映画化され幅広く人気を集めた。

 

シート余白部分

琉球舞踊「女踊り・四つ竹」のイメージ  

 

 

Thank you for reading at end!

 

   (吟)